解決済み
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10代後半 その他

私って、危ないのかな?

visibility167 chat7 person李湖 edit2024.03.19

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最近、社会学系統で自分の研究したいことができました。
その研究内容が、『社会の「死」への目線、タブー』です。
これを研究したいなと思ったのですが、これはちょっと危ないですかね?

図書館の蔵書検索で文献探しに勤しんでいた時、あれ、私ちょっと危ない?って思ったんです。

先日久しぶりに学校行って、歓談する自分の中に今もなお「死」についての興味があります。
むしろ、「死」についての興味がないと、自分の個性がなくなってしまうように感じてしまいます。
幼稚なことかもしれないですが、「死」についての興味、深く言えば「希死念慮」がないと、自分の居場所がなくなってしまう、構ってもらえなくなると考えてしまいます。

再起しようと思っても、私は「病み側」の人間だと認識することがやめられないです。ココトモのように、「病み」で得た居場所が私にはあります。
多分私は、「病み」を個性と認識した、してしまったから、こうなってしまっているんだと思います。中学校の時、自分はコミュ症だと思って調べていたら、「発達障害」に出会って、でも病院行かせてもらえなくて診断されなくて(今でも、そうかもしれないと思います。やっても多分グレーです)、生きづらさに病名がつけられなくて悲しくて、「死」を思うようになりました。
いずれ大学受験という自分の限界を試す試練があるのはわかっているのに、自分はメンタルを治そうとも思わず、一歩踏み出すこともできずにいます。それが嫌です。頑張ればいいってわかってるのに、今ここのポジションを失いたくない。ここにずっといたい。なんか、「病み」って、ぬるま湯に浸かってる感じなんですよね。

どうすればいいか頭がぐるぐるします。
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