音楽小説 『ベートーベンとミストレス』 ~僕は聞こえない。彼女は見えない~ # 16.5『彼らの去ったあと』
visibility1,606 edit2016.08.21
音楽小説 『ベートーベンとミストレス』
小説もくじ
前回からの続き。
これが、1日の仕事の始まりである。
モップを水入りのバケツにくぐらせ、水気を押し広げるように床を綺麗にしていく。
思い返すのは、先ほどまでそこにいた、青年の事だ。
優しい子(青年)だった。
彼は、出会ったばかりの見知らぬ少女を連れ、外の世界へと向かった。彼女の面倒を一日見てほしいという、マスターの願いを叶えるためである。
「若くって、才能があって、鋭気がある。現代っ子なんて、みんな冷たいもんだと思っていたけど……」
羽を痛めた、優しい小鳥。
それがマスターの彼に対する印象だった。
果てはトンビか、鷹に化けるか。
聴力にハンデを負ったらしい彼は、マスターに対し明るく言った。
怖くない。
力強い言葉だ。
けれど、おそらく彼は騙している。
(だって、あの時あなた、泣いてたのよ?)
マスターは明朝の、酔いつぶれた彼の呻きを思い出す。
小さな。それこそラジオから発生する雑音に過ぎないような、小さじ一杯の、か細い声で、
確かに彼は言ったのだ。
『たすけて』
――――――と。
そして、
「おはよう、マスター」
客がやってきた。
#[おもて]に つづく……。
#16[『彼への質問状 2/2』]←いっこまえ
アイキャッチ写真:フリー素材屋Hoshino
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