”私”という存在

10年くらい前からずっと、”私”という存在について考えている。
私は誰なのだろう。
私は何のために生まれてきたのだろう。
私は何故生きているのだろう。
私はどうして人間なのだろう。

わかっている。
私は私でしかなく、生きるために理由なんてものは存在しない。
人間として生まれてきたのも、単なる偶然で、意味なんてものはないのだと。
生まれてきたことを後悔した時もあったけど、家族や周りの友人を知り、心の温かさに触れ、愛情を注いでもらったことはどう足掻いても後悔しようがない。自分の選んだ選択肢ですら、後悔はない。それもそうだ。後悔のないように生きてきたのだから。
でも、ふと、考えてしまう。
自分の存在の意義を。

誰かの為に存在するのであれば、その誰かとは一体誰なのだろう。
私が生まれずとも周りは幸せになれただろうし、別の道が必ず存在しているはずだ。
私が彼等、彼女たちに心を砕かずとも、彼等、彼女たちはたくましく生きていくのだろう。

私だって同じだ。
彼等、彼女たちに知り合ったから必要だと思うだけで、会わなければ会わなかったで別の人生を歩んでいる。後悔はせずとも、元々誇れるような道を歩んでいない。変わったところで何も思わないだろう。

ならばどうして私は存在しているのか。
愛されるため?幸福のため?
……そんなもの、一体だれがどこで望んだというのだろう。
本当に望んだのであれば、どうしてそれを覚えていないのだろう。生まれたというだけでその志を忘れてしまうなんて、おかしいじゃないか。
結局は人間が、”生きる理由”として掲げた理想論ではないのだろうか。人間は理由なくして生きられないと、えらい方々も言っていらしたし。そういう生物なのだから仕方がないが、それを押し付けるのはやめてもらいたい。

ならば、どうしてか。
考えて、考えて……未だに答えは出ていない。

もしかしたらこの世界自体、何かしらの物語なのかもしれない。
私はその物語の登場人物で、友人も、家族も、その登場人物に過ぎない。村人Aかもしれないし、主人公かもしれない。……村人Aであれば、嬉しいとは思うが。
その物語を読んでいるのは、もしかしたら神と言われる存在かもしれないし、悪魔かもしれない。高次元的存在かもしれない。私達三次元の人間は、三次元より下の次元は認識できるが、それより上の次元の存在を見ることは出来ないと言われているし。四次元、五次元に意思の持った存在がいないとも限らない。

そうすると、結局は自分たちはその”高次元的存在”を楽しませるための駒でしかなく、結末は既に用意されているのかもしれない。
つまり、レールから外れた自分はどこまで行ってもレール上の人生しか歩めないという事だ。それで”高次元的存在”が少しでも楽しんでくれるのならば、それはそれで嬉しいし、例え村人Aでも血を流しながらその役を全うできたのであれば、やり甲斐はあるというものだ。
主人公ならば……きっと退屈させているに違いない。出来れば早々に破り捨てて欲しいくらいには、私はこの世界に興味を持てていないのが申し訳なく思えてくる。

さて。
色々考えたが、結局は人間の知りえぬ世界の話で、人間が人間として”生きている”現象の理由説明にもならないわけなのだが。
「そんなの考えても仕方がない」と思うのかもしれない。答えがない事を延々と考えるのは、骨が折れるし、ぶっちゃけ考えて答えが出たところでそれが望む答えとは限らないのだから無駄なのかもしれない。

でも、私は考え続けなければいけない。
人間のアドバンテージは、”考える事”だ。生物の中でもより多い知識を有し、言葉として発し、考え直すことが出来る存在。本能に囚われない、理性によって物事を決定できる存在。
それが、他の生物より抜きんでている、人間の強さだ。
考える事を放棄してしまえば、それは野原の野生生物と変わりはないのではないだろうか。まあ、考えすぎるのも足を止めてしまう観点から言えば、必ずしも正解だとは言えないのだが。

10年。
10年だ。
考え続けても、答えは出ない。
答えは、ないのかもしれない。

それでも、私は探し続けなければいけない。
このような極悪人がこの世に存在している理由を。
私が本当はどういう”人間”だったのかを。
”私”という存在に、周囲は、周りは、この世界は、何の利益を生み出すのかを。
私は考えて、考え続けて……そしてこの恨めしくて、憎たらしくて、今すぐにでも絞め殺してしまいたい”私”という人間を、理解した上でより無残に、残虐に、殺さなくてはならない。
そして世界に、この物語を作ったやつに、こういってやるのだ。

「ざまぁみろ」
と。

それが既に決まっているストーリーでも。
私はそう言ってやらないと気が済まないのだ。
それが、私の一世一代の復讐劇であって、唯一の私の生きる理由なのだから。

……まあ、その前に目の前の”私”の人生を歩まなくては話にならないのだが。
興味のない事をするというのは、本当に骨が折れる。こんなやつ、さっさと死んでくれればいいのに。

コメント12 閲覧1403 最終更新 約5年前

みんなのコメント

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  • 退会したユーザー

    約5年前

    「私」は存在している。
    それって素晴らしいことですね。
    存在しないとできない、いろんな影響を与えあえるってことですね。
    そこに有意義な意味はないかもしれない。
    だからこそ、「私」が自分の存在に意義を決めてよくて、自分自身で向かっていくものなのではないかな。
    なんて、私自身は思っています。

    ご自身の内面に深く追及されていること。素敵なことですね。

  • ちゅん太郎 20代前半・その他

    約5年前

    初めまして、Tomitaと申します。

    お話を伺いましたが、なんと言うべきなのでしょうか感服です。

    貴方のお話を読んでいて、きっと今まで沢山苦労なされて来た方なんだろうなと感じたのが正直な心情です。

    「世の中」若しくは「人の一生」に疑問を持つ事ができる人は、ある意味で不幸ではあるけれど、またある意味では幸福でもあると思うんですよ。大きな視点で物事を見る事が出来るようになる「きっかけ」、これを貴方は既に持っていて、それと引き替えにごく普通の、世間の大多数に何の違和感をも感じる事なく溶け込める人であれば背負わなくてもいいような重苦しい何かを背負わされていると思うんですよ。

    文脈で「神」「悪魔」を連想させる言葉を使っていましたよね。今まで自分自身の身の上で、願ったように思うように進まない事の方が多かったのではないのでしょうか。

    変なことを言うようでごめんなさい。人間の生きる意味って、僕はその人によって変わってゆくもので、また何度も何度も変化してゆくものだと思うんですよ。だから生きる意味が見つからない時もあれば、「これのために私は生きている」と心底思える時もあるんだと、僕は感じるんです。

    だから、背負わなくてもいいような、考えなくても良いような事を考えるのも、これは人間の生きる意味だとも思いますし、自身の不遇な運命や処遇を与えた存在に対する怨念を抱く事も、ある意味では生きる意味だと思うんです。

    何度も恨んで、何度も泣いて、何度も反省して、何度も自分の価値観を変えて。今まで楽しめなかったものを、今度は精一杯楽しめるようになる。これは人間の一側面ではないでしょうか。

    人間は完全に綺麗ではありません。同時に完全に醜くもありません。これだけは肝に銘じた方が良いかと思います。

    ちなみに僕は貴方のような人が大好きです。「こんな変なこと言う自分を相手にする人間なんていないだろう」と思いながら文章を書いていたかも知れませんが、ところがどっこい。いるんです。

    ご縁があれば貴方とお酒でも飲んでみたいですね。勿論迷惑でなければですけどね。

    人生って、楽しもうと思えばうんと楽しめますよ。

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