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銀ノ月 10代後半・男性

哲学的なことを一緒に考えませんか

初めまして。銀ノ月と申します。

今回が初投稿なのでとても緊張していますが、自分の消極的な姿勢を変えたいという思いから意を決して行動を起こしてみました。
私は自分の考えを言葉で表すことが苦手です。なので私の考えや思いがこれを読んでくれた方にうまく伝わるかとても不安ですが、温かく見守ってくれると幸いです。

プロフィールにも書かせてもらいましたが、私は常日頃哲学的なことを自問自答しています。今回は最近まで悩みに悩んでいた「なぜ生きるのか」という問いについて、皆さんの多種多様な考え・思いを知りたいと思いこの場を設けさせていただきました。

生きる目的、理由、野望からただ生きているだけ、理由なんてない等々、何でもOKです。
よろしければ、教えてくれませんか。

コメント35 閲覧991 最終更新 約3年前

みんなのコメント

  • みみ 20代後半・女性

    約3年前

    銀ノ月さんこんばんは。

    25歳女です。
    面白いスレがあるな〜と初めてですが飛び込みコメントしてみます!

    なぜ生きるのか、、、難しいですね。

    私もようやく四半世紀生きたところなので、まだまだ人生という人間の永久のテーマには向き合えていません笑

    が、そんなわたしの短い人生経験の中でも、とても落ち込み、本気で死にたいと思ったことが一度だけあります。
    その時に私を死の誘惑から切り離してくれたのは、「死ぬまでには猫を飼ってみたい!!」という気持ちでした笑
    今まで一度も動物を飼ったことがなかったのですが、猫という生き物と一緒に暮らすことに強い憧れがあったので、それを経験せずして死ぬなんて!!!と思えたことが私の救いです
    他の人もおっしゃっているように、猫と共に生活するという未知で楽しそうなことを「知りたい」気持ちが強いのだと思います
    それくらい生きる意味なんて簡単で身近なものだと思っています

    せっかくなので哲学ちっくなことを書きます
    臨床哲学の分野で有名な言葉ですが、
    精神科医のヴィクトール・E・フランクルの名著「夜と霧」という本に
    ”人生から何をわれわれがまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである”
    という名言があります。

    これはフランクルがアウシュビッツ収容所で多くの理不尽な死とあまりにも過酷な現実を経験する中で生まれた言葉であり、
    そんな極限の生活のなかで人生の意味の”コペルニクス的転回”が生じるのだ、我々が人生に問うているのではない、我々が人生に問われているのだ、というのです。

    上記の言葉には様々な解釈がなされているようですが、
    私は日々目の前のこと、日々偶然出会うことに全力で応答していくことが大切であり、その積み重ねがいつか自分の人生の意味を後述的に表現するのだ、という意味ではないかと考えています。

    個人の自由が保障されている現代社会では“意思の力”が強大化し、生きる意味を自ずから選択しているように錯覚しがちですが、
    極限の環境のような人間の本質が見える場所では、日々気まぐれに起きる事象にその都度対峙することで時間(人生)を進めるしかないちっぽけな人物像浮かび上がってくるようで
    人生という巨大な可能性を秘めた存在に、選択するというスタンスで立ち向かうことこそ傲慢なことだと諭されているような気がします。

    だから、生きる理由を語るのは、人生という可能性の塊を人間のちっぽけな思考に当てはめる無粋なことだーと言われてるんじゃないかなと私は思っています。

    生きる理由がなくとも死なない理由があればいいのさ!!!!

    目の前に舞い込んできたおもしれーことを見逃さないよう日々目を凝らして生きましょうね!

  • メンバー

    ほめほめ 20代後半・男性

    約3年前

    銀ノ月さんこんばんは!

    答えのない疑問は面白いですよね🤣
    内省的でありながら、様々な人の意見を聞こうとする姿勢素晴らしいです!
    私も見習わなくてはいけません笑

    長文失礼致します!

    さて、日本語は「主語」「述語」が最低限の文の構成ですが、

    なぜ、生きるのか?

    だと、どうやら主語がありませんね

    「生物は」なのか「人は」なのか「あなたは」なのかで大分毛色が変わってきそうです

    「生物は」とするのならば、簡単です。
    大体の生き物は「死にたくない・絶滅したくない」から生きているようです。
    なんならウイルスは生物ではないとされることもありますが、その生物ではないウイルスですら、絶滅を免れるように薬への耐性を獲得したり、遺伝子を組み替えることで人の免疫から逃れたりします。
    これ系の話題だと便利に使われるのが痛覚や不快感です。
    痛覚や不快感は無い方が快楽を求めるという点では都合がいいでしょう。
    しかし、痛覚があることで危険を知ることができ、生存の確率が上がるため、痛覚や不快感があるという考えをよく目にします。
    多くの生物は「種の存続」を目的として生きていると考えると大方の辻褄は合います。

    「人は」とするのならば、大きく毛色が変わります。

    各々の目的のため生きている

    と、まとめられることが多いと思います。
    回りくどい書き方をしていますが、おそらく銀ノ月さんが聞きたいところもここなのかなと思っています笑

    目的が特にない方は、これよりも大きな括りである「生物」として生きているのだと思います。
    ただ、人は生物の進化の過程や生物が共通して持っている「種の存続」のため生きているという感覚は感じ取れません。
    大雑把な法則として「種の存続」を目指す傾向にある生物のうちの1小分類に位置するだけだからです。

    死が近づいたら痛みや不快感や不安を感じることはあっても、それが「種の存続」のためにあるとは感じ取ることはスケールが違いすぎるためできないでしょう。

    最後に「あなたはなぜ生きるのか?」だと、一見簡単に答えられますね🤣
    この話の流れだと、自身の人生の目的を答えればいいわけですからね。

    なーんてそんなことはないです笑笑

    まず、人生の目的をサラッと答えることは難しいです笑

    重要な議題を話し合う場合には、言葉一つ一つの意味を互いに同じように捉えなければなりません。

    人生とは生を受けてから死ぬまでと一般的に考えられています。
    しかし、著名人や偉人は死してなお評価される、人々の中に生きています。

    では、そもそも人生とはどこからどこまでなのか?
    人に影響を与えている間は生きていると言えるのならば、逆に人と関わり合いのない人は生きていない幽霊なのか?

    このあたりは文学や音楽で見かける話題ではあります。

    話が逸れ、銀ノ月さんの疑問とは程遠いところにきてしまいましたね笑笑

    あなたはなぜ生きるのか?だと簡単には答えられませんね。

    でも、同じ気持ちになりませんか?
    「あー、もっと知りたいな」「もっとわかりたいな」「もっと答えられる(応えられる)ようになりたいな」って

    であれば、「それを知るために生きている」といったところではないでしょうか?

    長々と書いて、まったく銀ノ月さんの共感を得られなかったら顔から火が出るほど恥ずかしいですが、いかがでしょうか?

    いろんな方の意見を聞けるのは面白いですね🥰

  • むむくりん 10代後半・女性

    約3年前

    銀ノ月さんこんにちは!
    「なぜ生きるのか」…難しい問いですね!
    かれこれ30分くらい悩んでいたのですが、何となーく自分の中で結論付けるとすると、私の生きる理由は「もっと知りたいから」です。
    私は世界で一番頭が良くなりたいと常々思っています。
    まず「頭が良い」とはどういうことなのか私にはよく分かっていないのですが、漠然と、「誰よりも賢くあれたらいいのに」と感じています。
    だから知ることは大好きですし、何もかもを知りたいです。
    私は何かを学ぶ機会を失いたくない。
    生きることをやめるという選択は、ある種の誰も知りえない知識を得られる機会だと思いますが、それ一つを得るために私は他のことを知る機会を手放したくない……と思います。
    だからなのか、私は何かを学ぶことを選ぶと同時に他の何かを学ぶことを手放すことになる、「専攻する」ことが怖いのですが、一方でそんな人への憧れもあります。
    なんだか文章がまとまっていませんが、私の「なぜ生きるのか」という問いに対する回答はこんな感じです!

  • だいなそー 20代後半・男性

    約3年前

    銀ノ月さんはじめまして!
    私は学がありませんし年齢の割に考えも幼稚ですが自分なりの思いをコメントしようと思います。

    私が生きる理由は「常識に囚われずメチャクチャだけどおもしれー奴と出会うため」です。

    自分が変な人間であることを恥じている私にとってはこのような方々と交流することが明日への活力になります。

  • のこ 20代後半・その他

    約3年前

    はじめまして。前々からコメントしたいと思っていたのですが、疲れでなかなか出来ず:( ;˙꒳˙;):今なら落ち着いているので、答えてみようと想いコメントさせていただきました。私もよくあぁでもない、こうでもないことをよく考えます。高校や大学の講義でも社会問題や人権について考えたり、更に奥にいくとソクラテスとかプラトン、アリストテレス等の本格的な哲学について考えたりもしてました。(ただ、あくまで考えの方優位のため、勉強は全くでしたが😂)だから考えてしまうこと、とても理解が出来ます。今でも私にとって考えることは、疲れもありますが、どこか安心に繋がっている気もします。とても大切な事だけど、同時に大人になればなるほど難しい事でもあるので、それが出来る銀ノ月さんはすごいですね。上からではなく、純粋にそう思います。素晴らしいです。
    話が脱線しましたが、本題ですね。"今の私"にとっての生きる意味は、"今の自分を肯定して共に歩いてくれる人がひとりでも居てくれること"です。過去の私なら、「自分のため」とか「そもそもそんな事を考えている事が勿体ないし、進むしかない」とか絶対に言っていた気がします。だから、多分その時々の状況で理由は変わるものなんじゃないかなぁと。だけど、その時々でしか言えない自分の気持ちと向き合うためにも、この質問はとても大切になってくるような気がします。私も定期的に考えてみようと思います。とても大切な機会を頂き、ありがとうございました。🙇

  • さくら 20代前半・女性

    約3年前

    なぜ生きるのか
    それは、自分の中にあると考える。
    一人ひとり違うが、自分なりの答えを見つけたい。

  • メンバー

    わしゅー 40代・男性

    約3年前

    こんにちは。自分も哲学は好きなので、コメントさせてください。

    「なぜ生きるのか」ですか。。

    人間以外の生き物を見ていると、何か目的があって生きているとは、とても思えないですね。。ただ、長い時間をかけてプログラムされたとおり、機械的に生きているように見えます。

    たとえば、ミツバチが花の花粉を運ぶことで、種ができて、植物が繁栄する、というのを見ると「ミツバチは花粉を運ぶために生まれてきた」と考えたくなるけれど、実際のところは『長い時間をかけて、たまたま、そういうものが生き残ってきただけ』というのが、実際のところのようです。

    『なぜ、こういうものがあるのか』『どうやら、こういう目的があるからみたいだ』|という風に、人間は、たとえ目的がないものでも、いろいろなことを「目的」とか「理由」によって、理解しようとしがちな生き物なのだと思います。

    それは「人生」ということも例外でなくて。

    実際、生きる目的は、だれか(たとえば神様とか)が決めているのかもしれないし、あるいは、そんなものはなくて「ただ生きているだけ」かもしれないですが、やっぱりそこに「目的」を見出したくなる。人間はそういうものなのかな、と思います。

    ただ、仮に「生きる目的」なんてものが、なかったとしても、それでも立派に日々生きている人はたくさんいますね。

    なので、『生きる目的は、なくても、別にそれほど困らないんだろうな』と感じます。

  • ゆず 10代前半・女性

    約3年前

    はじめまして、よろしくお願いします。
    外国人です。ですので、少し視点が違うかもしれませんが、ご了承ください。
    私にとって、生きていることは意味がなく、あるのは「強制されている」だけです。つまり、私たちは人として生まれてきたのは仕方ないことで、受け入れざるを得ないのです。
    その证拠として、私たちは生まれる前に「生まれたいですか?」と闻かれずに生まれてきました。
    一方、一般人は心の底から死に抵抗し、思想が受け入れても体は受け入れません。だから、私にとっては、すべての人が生きることを余儀なくされています。生きる原因は「まだ死ぬ勇気がない」です。

    私にとっての生きる目的は、いつでも起こりうる人生の喜びを期待することです。

  • ゆず 10代後半・女性

    約3年前

    コメント失礼いたします🙇‍♀️

    私もたまに「なんで生きているのか」と考える事あります。
    今のところの答えとしては、主に「何かしら目的があるから」だと思っています。
    例えば「明日話したい話題があるから」とか「1ヶ月後に久々に友達に会う予定があるから」みたいな日常的な目的から、「死ぬまでに1回は海外旅行してみたい」「死ぬまでに好きなアーティストのライブに行きたい」などの死ぬまでにしたい目的などがあるから、私は生きているんだろうなと思います。
    そして私を愛してくれる親や、好きでいてくれる友達がいるから、その人達のためにも生きようと思いますね。

  • 退会したユーザー

    約3年前

    こんにちは、メロといいます(^^)

    「なぜ生きるのか」という問いについて‥

    まず単純に、なぜ生きるのか?という問いを自分自身に問いかけてみると、「さあ?‥」で終わります。そこで思考終了です。

    かつてはこういう問いをさんざん考えながら過ごしていたように思います。ですが、最近はこういう類の問いを思考を使って解決しようという気があまり起きなくなりました。

    答えようはあると思います。今現在の目的があればそれを答えに当てはめる、捉え方次第だからいろいろある、そんなの無い、そんな感じで思考を使えばその人なりの納得する答えは作ることができるのだと思います。

    「なぜ生きるのか」この問いかけは様々なところで見かけますけども、この問いかけを思考を使って結論づけようとするならば、その前にいろいろと解決しておかないといけないことが出てくるように思います。

    例えば、「なぜ生きるのか」と考える人に対して、「あなたはなぜ生きていると思っているのか」という問いを僕は投げかけたくなります。

    生きるとはどういうことなのか知っているのか? 知っていると話すなら、なぜそれが絶対正しいと思うのか? そういう問いかけが出てくると思います。

    他にも、「なぜ生きるのか」という問いの主語は何なのか? 「自分は」なのか「人は」なのか「生き物は」なのか。

    そして仮に主語が「自分は」であった場合、自分って何のことを言っているのか、自分というものを真に知っているのか?、知っていると話すなら、なぜそれが絶対正しいと言えるのか? そういう問いかけも出てくると思います。

    そういう問いかけ一つ一つすべて正確に正しい答えを持っていない限りは、「なぜ生きるのか」という問いについて正確に正しい答えは出てこないように思いますがいかがでしょうか。

    最初の方でお話ししたように、思考を使って答えを出そうとするならば、僕はこう捉える、私はこう捉えるといった具合に、その人なりに考えついた感想がそこにあるだけです。

    感想というものは、その時の状況や気分によって変わってくるものでしょう。だから、僕自身もその時その時、遊ぶために生きてるとか、成長するために生きているとか、何の意味もないなとか、反射的に思考が働きそのように思うことはありますよ。そういう意味では、その時に思いついたこと、それがその時のその人の生きる意味ということになるとも言えますね。

    まあでも、その時僕が何を生きる意味だと思ったとしても、それって僕の感想ですから。だと思っただけのことはスーッと流れていってしまいます。感想を掴んでおくのではなく、事実を捉えようとする方へと気が向く感じだなぁと思います。だから、自然と「さあ?」となり、思考を使って結論づけようとすることから離れていくのだと思います。

    銀の月さんの文章の中で、「自分の消極的な姿勢を変えたいという思いから意を決して行動を起こしてみました。」という言葉がとても印象的でした。すごく前向きな感じを受けてこちらも気持ちが前向きな感じになりました。

    いろいろ考えて答えを出そうとすることも面白いことかもしれませんし、それをみんなでやってみたらまたより面白いかもしれませんね。

    ざっと眺めてみて、僕のようなパターンはあまりなさそうだなと感じたので、僕のパターンも紹介してみました。

    こういったところにこういった場を設けることができる人は貴重だなぁと感じています。今、十代後半なんですね。若い芽が出てきたなぁというような感想を持ちました。僕がそういう感想を持ったのも、あなたが意を決したことであなたの中の芽が出てきたことの現れかもしれないですね。

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