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さいとう 10代後半・男性

なぜ人は比べたがるのか

自分は勉強も運動もそこそこできると思っています。だからこそ説得力があると思って話します。なぜ人は他人と比べたがるのでしょうか。なぜ自慢をするのか、とかそういう規模ではなく、受験や就職競走はなぜあるのかということです。文明がなかったらそんなものは存在しないでしょう。
ちょっと思想の強い学生の戯言だと思って聞いてください。

コメント25 閲覧792 最終更新 約3年前

みんなのコメント

  • さいとう 10代後半・男性

    約3年前

    最近忙しく、コメントができずすみません。
    皆さんとても深く考えてくださっていて、嬉しさと同時に尊敬を感じます。

    もう少し論理的に話を展開して、どちらかと言うと皆さんの賛同(?)を得られるような話をしたかったのですが、私の勉強不足で詰めが甘かったのもあり、やはり既存の常識に対抗する意見を説くのは難しいものがあると感じました。あ、別に賛同を得なくても良くて、否定的な意見をむしろ聞きたかったんですけどね笑 でも、もう少し分かりやすく説明をできたかな、と自分では思いました。また、皆さんの話を聞いて納得した部分もありました。私自身、この話を広げるのは能力不足で限界です。高校生ということに免じて許してください。笑 申し訳ありません。

    でもこの話について皆さんの意見をもっと聞きたいので、何かありましたらお聞かせください。こまめに返信します。

  • ゆず 10代前半・女性

    約3年前

    はじめまして、よろしくお願いします。

    人間には「優越感」というネガティブな要素が備わっているため、
    人々は他人と比較したがるのでしょう。これは私個人の考えです。実際、「見栄っ張り」は無意識のうちに形成され、みんな自分が比較していることに気づかないかもしれません。ただ「私はこの点で優れている」と言うだけで、比較が始まってしまいます。人間は競争心がありますから。これにはさらに多くの要因が関わっています。
    「見栄っ張り」が存在すると、競争も避けられません。人間の本能とも言えるでしょう。
    しかし、もし人間の本性にこの要素が存在しないとしたら、文明の進歩は遅々として進まないでしょう。競争や刺激がなく、容易に満足してしまうと、文明は進歩しません。

  • さいとう 10代後半・男性

    約3年前

    またお返事をいただけて嬉しい限りです。多くの人が答えてくださっているので、まとめて私の考えを伝えます。

    確かに自分が気にしなければ、または気にしないくらい価値観の離れた人であれば比べる事にはならないのかもしれませんね。比べられるということは自分自身とその対象が社会的にも精神的にも近しい位置にあるということを意味しているのかもしれないですね。

    しかし、やはり気にしてしまう人は不憫ですね。周囲と違う=悪いという集団的な価値観がやっぱりよくないと思うんですよね。働いてない(お金を稼いでいない)=悪い という認識じゃないですか。一般的には。それがなんで悪いかって言われると、「社会のためにならないから(かなり省略しています)」とかなり論理的に返されてしまいます。しかしこの論理的な理由って、社会のためになる=良い という考えの上で成り立ってるわけで、そもそも社会(文明)がなかったら?とやはり考えてしまいます。論理的な説明というものがおかしな(この世に存在していない第三者視点から見たとして)設定の上に成り立っているのは個人的には納得できないんですよね、、

    これを分かりやすく説明すると、
    この世には実数と虚数がありますよね?(他に良い例が思いつかなかったので高校生の知識で勘弁してください)
    中学校で習う二次方程式だと、虚数になる場合は「解なし」となってしまいます。
    これが私たちの世界(地球でも宇宙でもこの世でもいいです)とします。でも、虚数を学んだ私達からしたら、それっておかしいですよね。

    私達人間は、集団として文明を作り上げていくかわりに、ルールを課してしまっていると私は思います。別に革命を起こして世界のルールを変えようなんて思ってないですが、現在の状況が完全に正しいとは私は思いません。
    郷に入っては郷に従えという言葉がありますが、その「郷」が、この世の全てとなってしまってはどうしようもありません。

    話が逸れてしまいましたが、人と違う=悪い
    という認識は、そもそもどのようなものが普遍的であるかということに帰依している、ということです。

    皆さんの意見をお聞かせください。

  • 銀ノ月 10代後半・男性

    約3年前

    はじめまして、銀ノ月と申します。
    なぜ人は比べ「たがる」のかという言葉が印象的だったので、コメントさせていただきます。

    私の考えを伝える前に、1つ質問をさせてください。
    さいとうさんが考える、人が他人と比べたがっている「こと(対象)」とは何でしょうか?

    私はこのスレッドを読んで、初めは「人間の能力」を何故他人と比較したがるのかということなのかと思っていました。
    しかし、”なぜ好きなように生きることが出来ないのか”というさいとうさんの思いや”他人の目”という言葉から、私は「世間一般で誰もが通るだろうと考えられている生き方」と「好きなように生きる生き方」が比較対象なのかなと考えました。

    私は国語力がないので、さいとうさんが尋ねたいことを正確に出来ていないかもしれません。この質問自体も的外れな気がしますが、答えていただけると幸いです。
    長文失礼しました。

  • さいとう 10代後半・男性

    約3年前

    私は、ごく普通の高校生で、運動も勉強も人並みにはできます。嘆いてる訳ではないのでご了承ください。

    なんで人は比べたがるのか、それは私とっては永遠の疑問です。受験や面接、東西ドイツの話を聞かせてくれた方もいましたが、それは確かにそうですね。大いに共感します。しかし、私が話したいのは社会的で論理的な理由ということではなく心理的な話です。
    この違いが伝わるか不安なので説明します。ここで言う社会的な理由とは、「競争させた方が良いものが生まれる」などの利益や社会の仕組みに基づいた理由のことです。一方で心理的とはどのようなものを指すのかと言うと、まさに「人はなぜ比べたがるのか」ということです。比べるのかではなく比べ「たがる」のかです。受験や面接を行う理由ではなく受験や面接のようなシステムを人間が生み出してきたのはなぜか、私はそこに疑問を感じます。

    文明が生まれた時、人間は競争した方が文明が発展していくぞ!と考えたでしょうか。それは流石にありえませんよね。なんか規模が壮大になってしまって、何言ってんだこの高校生はと思われるかもしれませんが、単刀直入に言うと、なんで好きなように生きることができないんだ、ということです。

    好きなように生きれるだろ、と思った方、その通りです。もちろん、狩猟採集で生きたければ勝手に生きることが出来ます(法律による妨げはこの話に関係は無いので考えないとして)。しかし、世の中には他人の目というものがあります。もちろん、好きに生きるならその覚悟を持って生きろと言われればそれまでです。ですが、他人の目とは一人の人間にとってはとても大きな要素です。あなたが野球を習っていたとして、世の中ではそれが特異とされていたら、あなたは野球を続けることができるでしょうか。想像しにくいかもしれませんが、私が言いたい「比べる」というのはこういうことです。

    沢山のコメントありがとうございます。質問お待ちしております。皆さんの意見も聞きたいです。

  • メンバー

    ほめほめ 20代後半・男性

    約3年前

    さいとうさん、こんにちは
    相談ありがとうございます。

    当たり前に皆がやっていることに疑問を持ってみる
    素晴らしい姿勢ですね

    文明がなければ、受験や競争はない。と考えておられるのですね。
    よければ、どういうことか教えてください😌

    併せて、さいとうさんの考える文明の定義
    動物界にも競争や闘争の先に優劣がつくこと自体はありますが、このことについてどのように考えているのかも教えていただけると嬉しいです

  • Gash Kiyo 30代・男性

    約3年前

    初めまして。思うのですが、就職活動の場合、
    1つの募集に何十人も応募するなんてことがザラに
    あります。対して当然企業だってそんなに全員雇える
    「お金」が有る訳では無いから定員数を決めて採用します。

    そうなると、「全員は雇えないから、試験で優秀な人を
    5名選抜して雇います。」という形になります。

  • 退会したユーザー

    約3年前

    まず、比べるということと競うということを分けて考えた方がいいのかなと思いました。

    比べるというのは単に比較すること。競うというのは相手や順位を意識して自分が上に行こうとすることだと思います。

    そして、何故そのようなことをするのかというと、比べる、競う、どちらにしても、より良くしたいという願望を人間が持っているからだと思います。

    適材適所になればものごとはスムーズでしょう。その方がより良くなると思っている。だからそうするために比べたり、そして比べるために競わせたり競ったりするのだと思います。

    多くの人から少人数を選ぶ時に、比較することがよりよい選択をもたらすと多くの人は考えます。教育機関であれば、基準の学力と比較したほうが、教える方も教わる方もよりスムーズに教育が進むと考えます。

    営利団体でも、利益をより出しそうな人を比較により選ぶことが、会社にとってより良いと考えます。就職を希望する全ての人を雇えるわけではないですからね。

    競えば自分自身の力を確認できますし、他者に向けてアピールできます。自分自身がよりよい教育を受けたり、よりよい職場に行くことを考えれば、競う気持ちも出てきやすいのだと思います。

    競うことで自己研鑽、あるいはお互いに切磋琢磨し合えるという人もいるでしょうけど、それも競うことが自分自身、あるいはお互いをより良くしたいと思う気持ちがあるからでしょう。

    まあ、だから、自慢したがるというのも同じことだと思います。そうすると自分の気分をよりよくできると思うからそのようにするのでしょう。

    何を良いと考えるかは人それぞれ違ったりするとは思いますが、何をするにしてもしないにしても、基本的には全ての行為は、物理的なことや精神的なことをより良くしたいという人間の願望がそこにあるからだと感じています。

  • 退会したユーザー

    約3年前

    容姿などを比べたがるという話かと思ったら、受験などの話でしたか
    安直なので、単に優秀な人材をより優秀に育てて誇りにしたい。優秀な人材を雇ってより企業を大きくしたい。だと思っていました
    群れで最も大きかったり強いものがリーダーであるように、種の保存で雌が優秀な遺伝子を残したがるように、優秀というのは、それだけで偉大だという認識が本能レベルで刷り込まれているのかなと

    こういう話が大好きなので、さいとうさんのお話をうかがってみたいです!

  • さいとう 10代後半・男性

    約3年前

    誰か聞きたい人がいるなら話します。特に誰かに押し付けたいという訳でもないので、聞きたい方はコメントお願いします。

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