【音楽小説】ベートーベンとミストレス ~僕は聞こえない。彼女は見えない~ #10『朝ちゅん』
visibility1,777 edit2016.03.25
小説もくじ
前回からの続き。
裸の少女が、そこにいた。
#10、『朝ちゅん』
『幕間 彼のいない間に』
その日のアンサンブル(練習)は、先日の演奏会の曲を弾き合わせた。
みんなの最近の曲を振りたいという、ショーンの希望によるものだ。
ショーンは、私たちの団の代理の指揮者。彼は、私がドイツへ留学していた時代に知り合った友人で、敏腕の指揮者である。
さすが、ドイツでも有名な若手のホープだ。
練習にもかかわらず、快演だった。
本番よりも、安定感のある演奏だったかもしれない。
「わー! いつもより上手に弾けた気がする!」
「音、揃ってたね」
「うん、すごく上品な音が出てたと思う」
私も、彼の指揮を拍手で湛えた。
「素晴らしいわ。相変わらず、繊細な指揮ね」
「イエイエ、ミスひじり、美しいコンミスが皆を引っ張っているからデスよ」
「それを纏めているのはショーンよ、流石だわ」
テレル、ホメナイデ、と謙遜しつつも、ショーンはまんざらでもなさそうな表情だ。
「緊張しました。ワタシはみなさんをお預かりしている身デスから、下手な指揮はできまセン」
「正指揮者より上手なんじゃねーのー」
「だよだよー、もうショーンずっといてよー、カッコいいし」
団員からの心象も良い。
「心優しいみなサン、ありがとうございます」
団員に感謝を示しつつ、ショーンは「ひらめいた!」という表情になった。
「オッケーイ! さっきの演奏を聴いて決めました。きっと名案デス! 年末近く、日露友好音楽祭という音楽祭があります。それに、私たちの団でコンチェルト(ピアノ協奏曲)を演りまショウ!」
ショーンの提案に、どよめきの声があがる。
――――日露友好音楽祭。
それは、地方で行われるある音楽の祭典である。
テーマはロシアの音楽。世界各国から、ロシアと関わりの深い著名な音楽家たちが審査員として集まる。
団員たちがどよめく理由は、その大会の規模だ。
世界中から、プロの音楽団と音楽家が集められ、衛生放送を通じ、その模様は全世界へと中継される。
かなり大掛かりな大会だ。
とてもではないが、アマチュアの、学生のオーケストラが参加するような雰囲気ではない。
しかし、「心配ない」とショーンはおどけた。
「大丈夫デース! 私にはコネがあります! 大会の審査員長はパパの友人で、ばっちり出場できます。さらに、ロシアには私の弟、マクスウェルがいます! 弟のピアノでラフマニノフの協奏曲を演レバ、世界中の話題をかっさらうこと間違いなしです!」
ショーンは音楽一家の生まれだ。
父親は有名なヴァイオリニストで、ショーンの弟も世界的なコンクールで入賞経験を持つピアニストである。また、ショーンの弟はロシアに留学し、巨匠クラスの著名なロシア人ピアニストに師事している。ロシア音楽がテーマの音楽祭ならば、彼以上に心強い存在はいないだろう。
「マクスウェル様とラフマニノフ……」
「巨匠と知り合えるかも……!」
「世界に私の美しさを配信できる!」
はじめは大会の規模に及び腰だった団員たちも、徐々に頬の血色を良くしていく。ショーンのプレゼン力のたまものである。
『参加してみたいかも』
そんな風に皆が思い始めたころ、
「ぼ、ぼくはちょっと不安かな……」
話題に一石を投じたのは、フルートの吉田君だった。
「それだけ大きな大会なら、万が一失敗すると、影響も大きいよ。それに、大会まで二カ月しかない。練習スケジュールもタイトだし、大変だと思うんだ」
吉田君の言葉に、一瞬。団員の心も揺れる。
オーと、ショーンも吉田君の言葉を受け止める。
「マエストロ吉田。タシカニ……それはとても貴重で、ケンメイな意見デス……」
デスガ、と前おいて、
「冒険にリスクは付き物です。壁は高いかもしれませんが、乗り越えれば、必ず財産になります。なにより、私たちの団は確かな実力があります。成功は間違いありまセン。私たちの音楽が世界中に届けば、かならず大きな話題になり、みなサンの就職活動にもきっと、良い影響を与える事でショウ!」
と、ショーンは熱くスピーチ。
「就職!」
「就活に役立つ!」
「教授の靴を磨かないで済む!」
魔法のようなショーンの一声に、一斉に団員たちは色めき立つ。
就活に有利という、いかにも現実的かつ実用的なメリットは、卒業後の不安と常に戦っている団員の心を、ギュッとわしづかみにした。
楽団の、音楽祭への出場が決まった瞬間である。
◆
『幕間、彼の話』
どうして、音楽家になりたいと思ったのだろう。
はじめて、ピアノに触れたいと思ったのはいつの事だろう。
指揮者になりたいと思ったのは果たして……。
そしていま、目指すところは……。
…………。
懐かしい音楽が聞こえる。
柔らかくひびく、バッハの旋律。
『あなたー』
ひょっこりと襖から顔を出し、
小声で妻は呼びかける。
『ちょっとちょっと……』
『どうしたんだ?』
『しずかに、こっちへ来て』
『?』
『びっくりするわよ、あの子がね……』
そこには、
先日一人立ちができたばかりの二人の子が、
おもちゃのピアノを演奏している姿があった。
『ね?』
『おどろいた……たくとがバッハを……』
音楽は、
いつでもそこにあった。
物心がつく前からである。
彼の母もまた、音楽を愛していた。
特に、バッハの音楽を。
おもちゃのピアノを前に、たくとが見よう見まねで弾いたのも、
バッハであった。
彼にとって、バッハは母の歌だった。
『おまえの子だな』
『わたしたちの、よ』
古い。
とっても古い記憶だ。
どうして、音楽家になろうと思ったのか。
いつから、ピアノを弾き始めたのか。
いつから、指揮者になりたいと思ったのか。
いつから……。
そのすべてが、
『なりたい』ではなく。
『ならなければ』、に変わったのは、いつだったのか。
忘れたいのに。
『私たちの分も、あなたは音楽を――――』
母の最期の声が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
◆
「――――」
パチリ、と。
目を覚ますと、目の前が真っ白だった。
比喩ではない。
文字通りの真っ白。
白い猫が、横たわる俺の顔に腹を寄せているのだ。
猫の呼吸に合わせ、猫の腹がすーすーと膨らみ、俺の鼻の下をくすぐる。
ふぁ、ふぁ、
ふぁくし! と、勢いよくクシャミをする。俺のクシャミに猫は驚き、飛び上がるように逃げていった。
薄暗い室内。
視界が白から灰色ベースの景色に変わる。
左に、コンクリの地面。
目の先に、テーブル、ギター、ランプ、扉。
壁掛けの時計を見ると、朝六時
ここは、BARブドウの樹だ。
「あら、お目覚め?」
「はい、まぁ――って、イックシ!」
また、くしゃみをする。
俺のクシャミに、BARのマスターは軽く微笑み、
「あなたね、昨日お酒ひとつ飲んで、キューって言ってぶっ倒れちゃったのよ。もー、びっくりしちゃった。ああ、私たち無理やり飲ませたんじゃないからね。あなたがウッカリしてのんだの」
言われて思い出す。
昨日、このバーでピアノの勝負をしたのだ。
その後、酒瓶を持った男が店に乱入し、揉み合いになった。
幸い、けが人はいなかったが、
騒動が終わった際、のどが渇いていた俺は、その変にあったお酒をジュースと間違って飲み干した。
そして、その一杯でぶっ倒れたわけだ。
俺は酒が弱い。
自慢じゃないが、めちゃくちゃ弱い。
ひとくち飲んだだけで、ドクターストップがかかるレベルの下戸である。。
そして昨日、俺は誤飲した一杯でダウンしたわけだ。
「記憶はある?」
ない。けれど、意識ははっきりしている。
「大丈夫です。そこまでは覚えています、ご迷惑をおかけしました。暖かい布団まで用意してもらって……」
「気にしないで、私が用意したんじゃないし。というか、それ布団じゃなくてカーテンなんだけどね。ただの黒い布よ」
言われてみれば、身を蓋する布は、布団と呼ぶにはあまりに心もとない生地だった。
ビロード生地の、厚手のカーテン。
それでも、ただのコンクリで寝るよりは上等の寝心地だ。感謝しなければならない。
しわになるからシャツも脱がせてくれたのか。それにしたって背中側がだいぶあたたかぃ……アレ。
その得体の知れない感触に、俺は半身を起こし、それまで自分が眠っていた場所の
隣を見ると、
裸で眠りこける少女が、そこにいた。
[#11『なにふんじゃらもし!』]に つづく
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