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ココトモって?
大学の臨床心理の講義で 「ケア精神の重要性」のところで 「クライアントがどのような状況に陥っても決して見離さない」と習ったんですが 可能だと思いますか?
ついこの間、 見離された?捨てられた?ばかりだから納得できません。
勿論、資格もってての仕事じゃないし…って言われたらそれまでなんですけど。
コメント8 閲覧1051 最終更新 約11年前
退会したユーザー
結局、 相手が自己満でしてたってことに気が付きもしないで 自分が満足するために利用されてたこっちが馬鹿だったってだけ。
自分の馬鹿さ加減に吐き気がする。
ただし、クライアントがクライアントじゃなくなったら。。。見離してOKって解釈にもなりますよね。 その点友人とかは関係に明確な終わりがないから、関係の継続と心の距離感の保持はクライアントよりも難しいね。
うん。そうかも。 むしろプロセスの中で正常な自己満足は必要不可欠な要素かもしれない。とも考えられる。 自分が満たされたら、ぽいっと見棄てるパターンもあるかもしれないけど、自分が満たされたあと、自分だけじゃ嫌だなあ、誰かにわけたいなあって他己満足に向かう人も確かにいる。ただ外から見たら、自己か他己かは見分けがつかないね、残念ですけどね。でもなぁ、本当はどっち?なんて、それこそどっちでもいいような気もするよ。現実、助けを求めてる人に対してそっぽを向くでなく手を差し伸べ続ける行動を起こす、そして続けるってことが大事なのでしょう。それが見離さない、ってことなのではないのかなあ。
自分が見離されるのはどうでもいいんですけど。
どんな理由であれ途中で見離したりするとかそれは「支援」、「ボランティア」ではなくて 「誰かのために行動している自分かわいい」っていう「自己満足」になるんじゃないか
ってかんがえた。
簡単に「見捨て・見離し」あえるのは、健常な証拠でもあるんじゃないかな。って個人的に思います。
可能ですぅ。全然。
たぶん、見離すってことは、自分が傷つかないよう防御に入った ってことなのかも~ね。 素の自分が治療に入りすぎたっていうのかな? 仕事上、あまり適切ではないよなぁ。
報酬を頂いて接するならば、その「見放さないスタンス」も処方箋の一つと捉えるべきかもしれませぬ。
およばずながら現在、福祉の現場にいますけど。。その「最後までつきあうよ」的な姿が利用者さんに感じてもらえなければ、日々の生活すら、不穏なものになるのを目の当たりにしていますよ。
見離さない、の意味の捉え方にもよるかもしれません。 「決して」ってところに100パーセントそうしなきゃいけない、って誓約みたいな窮屈なものを感じますよね…。。。 そこに、「絶対」という意味を持って疑問に感じるのであれば、気持ちだけ80パーセント位見離さない覚悟を持つ位でもいいんじゃないのかな?と思います。仕事にするのであれば、そこんとこを「それでいいのか?」と思うのかもしれないけれど…。。。
相手から見離されたと思われないようにする、 ことは難しいですが、 自分が相手を見離さないようにすることは自分で意識し続けることで可能なんじゃないのかなー。
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